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 みなさん、米は好きですか。僕はあまり好きではありません。僕はコンビニ弁当をほとんど食べないのですが、その理由は、米が多すぎて、食べきれないからです。なんであんなにも米ばかり詰め込むのでしょうか。おかずとのバランスが、明らかにおかしいでしょう。僕は普段、いわゆるおかずしか食べないので、米を食べることはほとんどないのですが、日本人はなぜかとても米が好きなようで、驚くべきことに、ラーメンや餃子を食べるときに米を一緒に食べる人すら、いるようです。なぜに炭水化物を重ねるのか。
 そうまでして米を食べたい日本人のみなさんに、ここで、突然ではありますが、米を食べることによるリスクについてお話ししましょう。

 米には砒素が含まれています。平均的な白米1gあたり0.11μgの砒素だそうです。1日あたり100gもの白米を食べる人は、毎日11μgもの砒素を摂取していることになります。そんなにもたくさん食べる人はめったにいないかも知れませんが。
 砒素は発癌性物質で、毎日、体重1kgあたり1mgの砒素を摂取し続けた場合に、生涯のうちにその人に発生する癌の件数は、3.5/(mg/kg)/dayです。たとえば体重70kgの人が毎日100gもの白米を食べると、それによって増加する、生涯のうちに癌にかかるリスクは、0.055%となります(以上、『いくつかの損失余命』、岡敏弘、福井県立大学(2016)より)
 ぁあ、やはり米は恐ろしい食べ物ですね!

 さて、みなさんはこれをどう考えますか。これに対して、もし、

「 ほ ん で ? 」

関西弁ではなにを言っているのかがわからない方も多いでしょうから、日本語に訳すと、

「 そ れ が ど う し た 」

と言えたとしたら、みなさんがこれまでこのサイトを読んでくださったことは、まったく無駄でなかったどころか、とても大きな成果を残したことになります。僕も書いた甲斐があったというものです。なぜなら、生涯米を食べ続けることと、たった0.055%だけ癌にかかるリスクが増えることを、天秤にかけて評価できたからです。このサイトで最初に言った、「定量的に考える」ことができたことを意味します。
 そんな大層なことを言わなくても、あたりまえのことやん、とおっしゃる方もおられるかも知れません。それもそのとおりでしょう。ではそこで、僕は、なぜそれと同様のあたりまえの考え方が、放射線に対してできないのか、と問いたいのです。リスクを定量的に評価して問題がないかどうかを考える点では、まったく同じなのに、です。

 本サイトでは度々「ゼロベクレル」派の人をdisってきましたが、改めて、その根源にある「ゼロリスク」思想をdisっておきましょう。
 2017年の第48回衆議院選挙で、「12のゼロ」という「なんとかへの道しるべ」を掲げて選挙を戦った党がありましたね。それが発表されるや否やネット上ではそれをおちょくるネタがあふれ、選挙結果も大敗したということでみなさん笑ってらっしゃいました。
 ですが、僕は笑えませんでした。
 なぜなら、その党が比例代表で900万を超える得票数を得たからです。つまり、「12のゼロ」をまるっきり信じたとは言いませんが、少なくともそれを見て「こりゃだめだ」と思わなかった人が、900万人以上もいた、ということを示しているからです。正直慄然としました。
 このサイトをここまで読んでくださった方々であれば、リスクを「ゼロ」にすることなどできないことは充分におわかりいただけることでしょう。そして、ここでお話ししたとおり、これまで何十年間にもわたってみなさんが繰り返して来たであろう「米を食べる」というあたりまえのことですら、リスクは「ゼロ」ではないのです。

 このサイトを始めてから、様々な反応を頂きました。ちゃんと読みもしないで全否定してくる人もいましたが、そういう人は、とにかく、放射線をおどろおどろしいものだと書いていないことが気に喰わないようです。しかしちゃんとこのサイトを読めばわかるように、僕は、放射線がいかに危険かということを、しっかり書いています。
 でも僕は現実主義者なので、その危険なものでも、現実問題としてそこにある以上、なんとかして向き合っていかねばならないと考え、だからその向き合い方を書いているだけなのです。そりゃあ、「放射線をゼロに!」と念仏のように唱えていれば消えてなくなるのであれば、僕もそうしますがね。
 除染のところでもお話ししたとおり、放射線や放射性物質は、減らすことはできますが、「ゼロ」にはできません。「減らしていけばいつかはゼロになるじゃないか」と思われる人もいるかも知れませんが、そうではありません。そう思ってしまうのは、ある考え方ができていないからです。
 少し横道にそれますが、こういうことを考えてみましょう。ある問題で、正解が100なのに対して、Aくんは60、Bくんは150、と解答したとしましょう。どちらも大きく間違っていますが、もしどちらが正解に近いか、ということを評価しなければいけないとしたら、どうでしょうか。たとえば「正解から見て、Aくんの答えは40、Bくんのは50差があるので、Aくんのほうが近い」と考える人がいたとしたら、その考え方は自然科学には向いていません。自然科学的な考え方では、「正解から見て、Aくんは1.7倍、Bくんは1.5倍違うので、Bくんのほうが近い」が正しいです。世の中の事象は、「差」ではなく、「比」で考えなければならないのです。
 「比」でものごとを考えてみましょう。ある場所が汚染されていて、最初その汚染の度合いは1,000Bq/cm2だったとしましょう。ある除染作業を1回行ったあとに再度測定してみると、370Bq/cm2まで下がったとします。このとき、除染によって、「630Bq/cm2だけ減った、あと1回除染すればゼロになる!」と考えるのではなく、「1/2.7になった、あと1回除染すればさらにその1/2.7の140Bq/cm2になる」と考えるのです。3回繰り返せば1/20の51Bq/cm2、10回繰り返せば1/21000の0.049Bq/cm2にまで減らせます。
 これだと、どれだけ回数を増やしても、「ゼロ」にはなりません。しかし、減らせることには充分に意味がありますし、実用上問題がないレヴェルまで減らせれば、それでよいのです。リスクも同じです。
 ところが、「ゼロにできなければ意味がない!」などという人もいます。そういう人は、ゼロになどできないということが理解できないだけではなく、恐らく、それ以前に、そもそも頭を使って考えることすらできない、あるいは、したくないのだと思います。なぜなら、「実用上問題がないレヴェル」というのがどの程度なのか、生涯米を食べないということと天秤にかけられるのがどの程度なのか、ということは、頭を使って考えなければならないからです。
 頭を使いたくないから、「ゼロ」であることにしておきたい。「ゼロ」であるなら、頭を使ってリスクを評価しなくて済むから。
 そのように自分の頭を使うことすらしたくない怠け者は、他の人の努力をも認めることはしません。1/2.7にしようが、1/20にしようが、1/21000にしようが、「ゼロ」にできていないのだから、なにもしていないのと同じではないか、と。
 これが、「1か0か」しか考えられない哀れな人たちなのです。
 序文でも言いましたように、僕は、そういう人たちを相手にしてあげる気など、もはやまったく持っていません。「哀れな」とは言いましたが、本当は哀れむ気持ちすら僕は持ち合わせていません。そういう人たちは、癌になるリスクに怯えながら、生涯米を食べないようにすればよいのです。
 問題は、そういった人たちが、他の人たちを巻き添えにしようとすることです。自分たちだけで恐れていると滑稽に見られるから、他の人も巻き込んで、自分たちだけがおかしいわけではない、これが普通だ、ということにしたいのです。だから、そういう人たちからの「巻き添え」を防ぐために、僕はこのサイトを始めました。そういう人たちがもっとも恐れるのは、みなさんが放射線に関する知識を身につけ、自分で考え始めることだからです。ですからみなさん、もっと学んで、もっと考えて、彼らをもっと恐れさせてやりましょう。

 「ゼロベクレル」派の人たちが、そのおかしな発想のために来たしている矛盾を、ひとつ例として挙げておきましょう。
 福島県の農産物は、ちゃんと放射線の検査をしています。しかも、種類によっては全数検査という、世界でも類を見ないほどの厳しい検査です。それでも「ゼロベクレル」「ゼロリスク」派の人たちは、福島県の農産物を避けます。そして、その彼らが取った方法とは、「一切検査などされていない他県の農産物」を食べることです。ちゃんと検査されているものを避け、検査されていない、要するにどれくらい汚染されているのか全くわからないものを、あえて選ぶとは!
 「ゼロベクレル」を目指しているはずなのに、なぜ?と思われるでしょう、まともな方は。でも、彼らの考え方が、ここには非常に顕著に顕われています。つまり、検査しなければ、「自分の目に見えなければ」、それはゼロと同じだ、というわけです。リスクが自分の目に入らないようにする、それが即ち、「ゼロリスク」の考え方なのです。呆れて物が言えないでしょう。
「福島のものでなければ安心」などというのも、不思議な思い込みですね。放射性物質に意志でもあって、日本人が勝手に決めた「○○県」という人工的な境界に従って、農産物を汚染するとでも思っているのでしょうか。とても正気とは思えない発想ですよね。

 さて、「ゼロベクレル」派をdisるのはこれくらいにして、こういう話もしておきましょう。本サイトを読んでくださった方の中で、好意的な引用リツイートで、「第5章だけでもいいから読め」と書いていた方もおられました。宣伝してくださるのは大変ありがたいことですし、それについてどうこう言うのも失礼なのかも知れませんが、誠に恐縮ながらあえて言うなら、それは僕が意図したこととまったく違うことです。
 序文から始まって、本文を通して僕が言いたかったことは、自分の頭で考えましょう、ということです。そのためには、面倒でも、基礎的なことから理解していきましょう、というのが本サイトの趣旨です。
 福島第一原子力発電所事故のあと、様々な調査結果が発表されました。みなさんがもっとも気になさる健康調査もたくさん発表されました。それはどれも「見る人が見れば」安心するような結果でしたが、では、「誰もが」そのことを理解できたのかというと、僕は疑問が残ると思います。それは、放射線に関する素養がない人がそれを読んだとしても、実は本当の意味で理解できたことにならないであろうからです。
 発表された調査結果を曲解する人たちまで現われました。もちろん、その中には、どんな結果でも自分の田圃に水を引き込もうとして、無理矢理曲解する人も多いことでしょう。しかし一方で、その一部には、そのような悪意を持っているからではなく、基礎的なことがちゃんと理解できていないのに、「応用編」である調査結果だけを読み解こうとして、間違って捕らえてしまっている人もけっこう多いのだと思います。
 なぜそうなっているのかという仕組みを理解しようとせずに、結論だけ知りたがる人は、残念ながらこの日本にはとても多いです。その典型が、僕が本サイトでも度々批判してきた、マスコミでしょう。彼らは、その事柄について驚くほど不勉強で、それどころか、理解しようとする気すらないまま、結論だけを聞きたがります。確かに人生の時間は限られていますし、一からちゃんと学んでいくのは手間だと思うのはわかります。マスコミがとても多岐に亘る分野を網羅しなければならないのもわかります。しかし、基礎的な知識や基本的な考え方を身につけないまま結論だけを求めると、世に出ている事柄を、その意味するところを、本質的に理解できないまま、表面的にだけ知った気分になり、それが結局は曲解につながるのです。マスコミの「キーワード主義」はここにあります。中身が理解できないから、印象的なキーワードだけにこだわるのです。
 この放射線の問題でも、あるいは別の問題でも、中途半端に印象的なキーワードだけ頭に入れて、それが意味するところを本質的には理解せずに、やたらと振りかざしてくる人がいます。こういう人は、ちゃんと順を追って学ぶべきところを、面倒なのかなんなのかすっ飛ばして、いきなり結論のところを知りたがった結果、そうなったということなのです。
 本サイトで言えば、第1章から第4章までに書かれていることを理解しないままに、そこをすっ飛ばして、第5章だけを読むことに当たります。
 大切なことなので繰り返しますが、時間と手間をかけて学ぶことは大変です。でも、それを避けて結論だけ知ろうとすると、表面的なものだけの、薄っぺらいものになってしまいます。簡単に手に入れたものは簡単に失ってしまいます。そして、苦労して身につけたものは、そう簡単に失われたりしないものです。ですから、本当の意味で理解したい、身につけたいのであれば、手間でも、大変でも、一から学び、考えていってください。

 そして最後に。
 このサイトをお読みいただいた方の中には、お気づきになられた方もおられるかも知れませんが、ここでは、話の流れの中の例として挙げたものを除いて、福島第一原子力発電所事故に関連した調査結果などについて、一切書いていません。
 なぜか。
 それを読んで、それがどういう意味を持つのか、を考えるのは、みなさん自身がなさることだからです。
 僕が序文で言った言葉を思い出してください。
 「その方々が、デマに立ち向かうための武器、と言えばおおげさですが、そうでなくとも、デマにだまされないようにするための道具として使っていただけるよう、この文章を書きました」
 僕は、デマに立ち向かうための「武器」を、「考え方」を、みなさんに提供しました。しかし、デマと戦うのは僕ではありません。みなさん自身が、「武器」を活用し、「考えて」、デマに立ち向かうのです。

 さぁ、いまこそ、「放射線について考えよう」。

謝辞

 本サイトを締めくくるに当たって、実に素晴らしいイラストで僕の意図を見事にヴィジュアル化してくださっただけでなく、完璧なWEBディザインまでしてくださったききき ききさん、編集作業だけでなく、本サイトの運営までしてくださり、さらには、本サイトを無料で公開してくださった高良さん、そして誰よりも、本サイトを最後まで読んでくださった読者のみなさんに、深く、感謝の言葉を捧げます。
 本当にありがとうございました。


著者プロフィール

多田将 (ただ・しょう)

1970年大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。

著書『すごい実験』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学<核兵器>』『ニュートリノ』。