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 日本で放射線の話をするときには、東北大震災にともなう福島第一原子力発電所事故について避けて通ることはできません。あの事故直後には、放射線に関する言説が、デマも含め、とてもたくさん出されました。いまさら放射線について書くくらいなら、なぜ、そのときに書かなかったのか、と思われる人もいるかもしれません。あのころ僕はちょうど生まれて初めての本を出そうとしていた時期であり、それを自分の勤務先の研究施設の震災復旧のため、連日倒れそうなくらいの激務の合間にやっていたために、ほかの本を出すような無謀なことはできなかった、というのが実情です。復旧が終わり、時間に余裕が出てくると、完全に時機を逸してしまっていました。

 ではなぜいまさら書く気になったのかと言いますと、きっかけは豊洲市場問題です。あそこで繰り広げられた「安全より安心」とかいう無意味な話や、それを煽るマスコミ、間違った風評で相手を傷つけても自分のちっぽけな正義感さえ満たされればそれでよいのだという風潮に、なんだかとても既視感をおぼえたからです。6年たっても、あるいは、あれだけの大騒ぎをしたあとでも、日本人はまったく変わっていなかったのだなぁ、と。

 デマはなぜ正確な情報よりもはるかに広く拡散するのか。
 理由はとても簡単です。そのほうが面白いからです。「とくになにも問題はありません」よりも、「じつは深刻な…」といったほうが、人間の興味をそそるのです。
 正直、デマを流されたほうとしては、とても許しがたい理由ですが、実態はこんなもので、人間のモラルなど、しょせんこの程度なのです。だから僕は、こういった連中がすこしでもデマを流さないように期待することなど、いっさいやめてしまいました。
 その代わりに、すこしでも「聴く耳」を持ってくださっている方々に対しては、可能な限りていねいに、誠実に、説明することにしました。世の中に数ある書籍やサイトの中で、わざわざ本サイトを選んでくださった方々には、それ相応の誠意をもってお話ししたいと思います。
 そして、その方々が、デマに立ち向かうための武器、と言えばおおげさですが、そうでなくとも、デマにだまされないようにするための道具として使っていただけるよう、この文章を書きました。

 原子力発電所事故の直後は、「誰の言うことを信じてよいのかわからない」という言葉も聞きましたが、それに対する答えは、「自分で考えるしかない」ということです。自分で考えることをやめて、他人に判断をゆだねている時点で、その人はだまされても仕方ないといえます。このサイトは、そういった「自分で考える」ための準備のひとつでありたいと思います。本サイトを読めばすべてが解決するわけではありませんし、仮にそのように言いきるものがあれば、それをこそ疑うべきだと思います。

 ひところ「理系の人間はどういう連中か」というテーマの本が書店に平積みされているときがありました。僕もそれらをぱらぱらと見てみたのですが、見たページが悪かったのか、いっさい共感できないことばかり書いてありました。そこには、理系の人間を完全に誤解した、ステロタイプな「理系の人間像」が描かれていました。例えば、コミュニケーション能力が欠如しているだの、すぐに専門用語を使いたがるだの、夢見がちで浮世離れしたところがあるだの、ところ構わず白衣を着ているだの、本当に理系の人間を見たことがあるのか、と疑わしくなるような内容でした。
 では、現実の「理系の人間」とはどういう特徴をもっているのでしょうか。

ひとつは、論理的に考える、ということ。
もうひとつは、定量的に考える、ということ。

 理系でない人たちにとって、前者が「こうるさい」、後者が「細かい」と否定的に考えられる原因になっていると思います。
 僕はいちおう理系の学者のはしくれではありますが、それでよかった、と思うことがあります。それは、世の中に満ちあふれるデマに、だまされにくいことです。デマや疑似科学の多くは、論理的でもなければ定量的でもありません。ところが、それに気づくには、ふだんから論理的かつ定量的に考えることに慣れていないとむずかしいのです。デマを堂々と否定するためには、「こうるさく」「細かく」なければなりません。

 デマに流される人やデマを発信する側の人には、あらゆることを○×式にとらえる、という特徴があります。実際世の中で起きていることのほとんどは、自然科学にかんすることではなくとも、「程度問題」なのであって、単純に○×式で判断できるものはほとんどありません。にもかかわらず、自分の頭で考えることを面倒臭がって、○か×かの二元式の答えを要求する。全否定か全肯定しかない。そういう人たちこそが、もっともだまされやすい人間です。しかし残念ながら、そのような人たちが日本ではまだまだ多くいて、主流ですらあるというのが悲しい現実だと思います。そういう風潮に流されないために、「どの程度か」ということを考えることが、「定量的」な思考なのです。

 そして、放射線の問題でも、豊洲問題でも、「安全より安心」という言葉を呪文のようにとなえる人たちがいます。その人たちに聞きたいのは、では、「安心」を感じる基準はなにか、ということです。それが科学的なものではなく「自分たちの心の中の問題だ」などと言われたら、人間がふたり以上いる社会ではまったく話になりません。なぜなら、「心の中」など、人それぞれまったく違うからです。そのまったく違うことを考える人たちがたくさん集まった社会で「安全」を調整する手段こそが法であり、その法の根拠となるものが科学であるはずです。

 ですから、本当に「安全」かどうか「自分で考えて判断する」ための、科学的な根拠を与える道具として、このサイトを活用していただきたいのです。

 このサイトは、高校では物理学の授業を受けなかった、または、受けたのだが、すっかり頭の中から抜けてしまった、という方を主な対象として書いたつもりですので、学生のみなさんや、学生時代のことがまだ頭に入っている方には、もの足りないと感じられることでしょう。そのときには、このサイトを、よりくわしい放射線についての本を読む「きっかけ」としていただければ幸いです。

 あるいは逆に、中学校の段階ですでに物理学を苦手とされていた方には、なんだかむずかしいことが書いてあってつらいな、と感じられるかもしれません。このサイトは、表面的な知識を並べたてるだけでなく、「なぜそうなっているのか」ということから理解するのが目的ですから、原理から詳しく書いてあります。物理学が苦手だった方の中には、物理学という学問が「なんかよくわからない公式を憶える科目」という認識であった人すらいるらしいですが、それは完全な間違いで、物理学とは、「物」事はなぜそうなっているのか、その「理」由を考える「学」問なのです。

「なんかよくわからないものを憶える」では、物理学という学問とまったく逆のことをしていることになります。公式なんかどうでもよいのです。「なぜか」ということを考えていただきたいのです。それをしてこなかった方には、慣れないことゆえに、多少戸惑うかもしれませんが、根元から考えることこそ、だまされないために絶対に必要なことだからです。「他人にそう教わった」ではなく、「自分で考えた」が大切です。苦労して身につけたことは、そう簡単に揺らいだりしないからです。ゆっくりと、すこしずつでよいので、考えながら読みすすめていってください。
 そして、皆さんに言いたいことは、このサイトを、放射線のことだけでなく、世の中のあらゆるできごとを科学的に、つまり「論理的に」「定量的に」考える「きっかけ」として利用していただきたい、ということです。

 このサイトでは、「なぜそうなっているのか」というしくみを理解するために、順を追って話を進めていっています。そのため、みなさんが知りたいことにすぐにたどりつけなくて、ちょっとイライラするかもしれません。でも、そうやって「なぜ」というしくみを順序立てて考えることが、「論理的に」考える練習になります。
 そして、多くの量や数値が出てくるのも本サイトの特徴です。これも数字を見るのがいやな人には、ちょっと気分がよくないかもしれません。しかし、数値がもつ意味を考えること、その数値が大きいのか小さいのか、どの程度であって、われわれにとって問題はないのか、それを考えることこそ、「定量的に」考えることなのです。

 「お化け」が怖いのは、つまるところ、その正体がわからないからです。お化けに光をあて、正体を白日の下にさらしてやれば、それほど怖いものではありません。お化けが主に夜に活躍するのはそのためです。
 放射線という「お化け」も、必要以上に恐れられているのは、多くの人が「それがなんだかわからない」と思っているからです。ですから、その正体を理解することで、恐れをなくし、「安心感」を得るのが、このサイトの目的です。
 放射線という「お化け」を、白日の下にさらしてやりましょう。


著者プロフィール

多田将 (ただ・しょう)

1970年大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。

著書『すごい実験』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学<核兵器>』『ニュートリノ』。