書籍版の出版にあたって

 本書は、放射線について解説したサイト「放射線について考えよう。」にアップした文章を、そのまま書籍としたものです。サイトのほうは現在も無料で公開されていますし、今後もそのままのつもりです。では、なぜ、無料サイトに上がっているものを、わざわざ書籍化したのか、不思議に思う方もおられることでしょう。実は、こういう経緯があったのです。

 サイトに連載を始めて以来、とても多くの方々からありがたいメッセージをいただきました。中には、ご自身の周囲の方々への教育に使っている、という方も多くおられたのですが、さらにその中に、なかなか衝撃的なことをおっしゃる方がおられました。曰く、
「印刷して配っている」
と。しかもお一人ではなく、けっこうな数おられたのです。
 ウェブで見ることが可能なのに、なぜわざわざ紙に印刷を……?
 21世紀生まれの方であれば、わけがわからないよ、と思われることでしょう。ところが、旧世紀から生きてきた僕のようなクラシカルな人間には、気持ちはわからないでもないのです。
 子供の頃から紙の本に慣れ親しんできた我々の世代の中には、長文を読んだり、それをもとに学習したりするときには、どうもウェブ画面ではしっくり来ず、紙で読みたくなる人が多いのです。若い方には想像もつかないでしょうが、世の中には、メールをいちいち印刷してから読む人すら存在します。
 そのような「紙」に対するニーズが、意外なほど多いことが、このサイトを運営してわかりました。
 もちろん、ウェブ版のほうが読みやすい方のほうが多いことでしょう。ですから、ウェブ版はそのまま公開して、同時に紙の書籍も出すことで、どちらでも読みやすいほうを選んでいただけるようにしよう、そう思い立って、書籍版を出版することにしました。出版後もウェブ版は無くなったりしませんから、ご安心を。

 別の理由もあります。この文章は、自分で言うのも何なのですが、それなりによくまとまっていて、しかも、これまで世に出た放射線関連の本や解説サイトにはあまり書かれていなかったようなことまで踏み込んで書いていて(自画自賛的で恐縮ですが)、特に若い方々にはぜひとも読んで学んでいただきたい内容になっています。
 そこで、できれば学校の図書室などに寄付したいと思っているのですが、そのとき、紙の書籍があると、とても都合がよいのです。「ウェブに公開されていますから読んでおいてください」では味気ないではありませんか。その意味でも、紙の書籍として出版しておきたかったのです。

 そして、第3の理由。僕個人的には、むしろこれが最大の理由かも知れません。
 このサイトを無料で公開するために、僕も編集者さんも無償で働いています。本サイトではうっとうしいアフィリエイトもありませんし、なにも報酬のあてがありません。ところが、こういうものの運営には必ずお金が発生するものであって、イラストレイター/ウェブディザイナーの方への報酬や、サイト維持費など、必要な経費は、なんと、編集者さんが私費で賄っているのです! たいへんな太っ腹で、それがあればこそみなさんに無料であのサイトをお読みいただけているのですが、編集者さんへの負担は増すばかりです。しかも慎み深いことに、編集者さん側からは、この件についてはなにも言ってこないのですよ!
 僕は当初からこれは何とかしなければならないとずっと思っておりました。その費用を、少しでも編集者さんに回収してもらうために、僕は書籍版の刊行を決めたのです。この第3の理由は、あくまでも、編集者さんではなく、僕自身の判断です。
 そのような事情がありますので、すでにサイトのほうをお読みになられた方でも、懐に余裕のある大人の方々は、若い人たちが無料でサイトを読み続けられるように、若い人たちへの投資だと思って、ご購入いただけると、とても助かります。そうしてご購入いただいた書籍版を、若い人へとプレゼントなされば、なお素晴らしい! 未来を担う若者に教育の支援をすることは、とても有益な社会貢献ですよ!(そそのかし
 そうは言っても、ウェブ版そのままのものを販売するのは心苦しいので、ささやかながら、おまけ(附録)をつけてみました。たいしたものではありませんが、わざわざ課金してくださった方々への、ほんのわずかなお礼です。

 話はまったく変わりますが、僕はいわゆる「洒落怖」と呼ばれるネット怪談が好きです。少し時間ができたときに読むのに最適です。もちろんこれらの話はつくり話なのですが、それだけに、よくできた話はとても楽しめます。
 僕はそれらの中でも、田舎の集落や因習にまつわる話が特に好きなのですが、それらの定番は、ある理由から行ってはならない場所があり、大人たちが理由を説明しないでとにかく行ってはいけないとしか言わないので、子供たちが行ってしまって、災難に遭う、というものです。そういう場面を読むたびに、つくり話であることを一瞬忘れて、「ちゃんと理由を説明しとけばよかったのに、なんで説明しとかへんねん」とディスプレイに向かってつぶやいてしまいます。
 日本人の悪いところのひとつに、「寝た子を起こすな」という考えがあります。必要以上に知らせない、できるだけ人々を無知に保っておく、という考えです。僕はこれがとても問題のある考え方だと思っています。無知ほど恐ろしいことはなく、無知な人は、その無知ゆえに、時に、とんでもないことをしでかしてしまう可能性があるのです。洒落怖で起こることは単なるつくり話の中ですが、セシウム137を盗み出したロベルトのように、現実の世界でも起こりうることです。
 そして、より重要なことは、寝た子が急に起きてしまったときの、その子の反応です。今、「放射脳」と呼ばれる、デマをまき散らす人たちの中には、福島第一原子力発電所事故が起こるまで、放射線に関する知識をなんら与えられないまま、「寝た」状態にされ続けてきた人たちがとても多いです。そのため、とても純粋で、「真っ白」な状態なまま、悪意ある間違った情報を多く含んだ、情報の津波の中にさらされてしまいました。もともとちゃんとした知識をもっていた人たちからは考えられないような、まったく違った影響を受けたことでしょう。我々はつい、「なんであんなデマに踊らされるんや」と嗤ってしまいがちですが、無垢な状態であれにさらされていたら、そういうふうに染まってしまったとしても、多少は仕方ない面もあるのではないでしょうか。
 当然ながら、学問は政治や思想とは無関係であるべきです。政治や思想がからんだ瞬間、結論が決まってしまって、その結論を出すようにねじ曲げられてしまうからです。それはもはや学問とは言えません。
 でも、あのような大事故が起こったときは、あふれる情報から政治色を取り除くことはなかなか難しいものです。そういう環境に置かれてから学びはじめると、どうしてもバイアスがかかってしまいがちです。ですから、事が起こる前に、あらかじめ学んでおく、「寝た」状態から脱して「起き」ておくことが重要です。
 本書をお読みいただいたみなさんは、すでに「起き」ておられます。もし身近な方で未だ「寝て」おられる方がおられたら、あの事故からずいぶんたって、ようやく少しずつ冷静な目で見られるようになってきた今こそ、穏やかに「起こして」あげてみてはいかがでしょうか。本書がその目覚めのための一冊となれば幸いです。